blog



勇気があるって、「怖くない」ってことじゃない。


うまくいかないかもしれない。

お金がなくなるかもしれない。

ダメな人間って思われるかもしれない。

理解されないかもしれない。

もしかしたら死ぬかもしれない。


頭の中のエゴちゃんは、怖くて怖くて

出来る限りの理由を見つけて止めようとする。


それでも本当の私が、それをしたいと言っている。

だから怖くてもそれをするんだ。


勇気があるっていうのは

怖くないってことじゃない。

悟ってるってことでもない。


エゴちゃんが鳴らす警鐘の向こうの

本当の自分の声を選ぶってことなんだ。


本当の自分は、いつだって

「大丈夫だよ」

と言っている。







*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



もし衣食住が何とかなるなら、お給料がでなくても、何の収入にならなくても、それがしたい!

どうしてもやってみたい!


そう思えるかどうか。

もしそう思えるのだったら、衣食住は何とかなる。

生きていくのに必要なものは後からついてくる。


もし仮に生活に何の心配もいらなくて、そして今やっている仕事からは一銭も得られないとなった時に、明日もまたその仕事に行くことにばからしさを感じるのなら、


あなたの人生があまりにもったいないから

そんな仕事はやめたほうがいい。


あなたの人生って、そんなものじゃないでしょう?

生存し続けるために働くような、そんなものじゃないでしょう?








*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



どれだけ簡単に、もしくは難しく、

喜びを感じられるかを

人は自分で選んで設定している。


全員、

自分で選んで

決めている。


もし

踊りたくなるほど

鼻歌を歌いたくなるほど

一人でニヤニヤするほど

スキップしてしまうほど

日々の暮らしの中で喜びを感じられないなら

あなたの設定は

「ハードモード」だ。


基本的に地球の喜び設定は

少なくとも現在私が見るところ

ハードモードだと思う。

そして日本は

その中でも

「超ハードモード」

ノリのいい音楽がかかっても

そう簡単には踊らない。


ハードモードの世界で

設定がイージーモードの人は

頭が悪いか、繊細さに欠けると思われやすい。

超イージーモード設定の場合は

もはや

狂ってると思われる。


だから

自分で意識的に選びなおさないと

多くの場合

その大多数の

「ハードモード」「超ハードモード」

に無意識のうちに合わせてしまう。


もしくは

これまでの苦労に

これまでの痛みに

とても大きな価値を置いているのであれば

「それらがなくなったら私は無価値になる」

とすら信じているので

「簡単に喜びなんて感じられない!」

と喜びにすら恐怖を感じることを選んでいる。


ビールを飲んだらハッピー

甘いもの食べたらハッピー

借金が完済できたらハッピー

この病気が治ったらハッピー

あと10kg痩せたらハッピー

パートナーが見つかったらハッピー

それまではハッピーにならない。

はじけるような喜びは感じない。


そう決めている人が

実は

ものすごく多い。


「ハードモード」「超ハードモード」の世界から

「イージーモード」に移行するには

まずは自分の設定がどれくらいなのかを

自分に聞いてみることだと思う。


そしてもし

「わぁ!ハードモードだった!」

と気づいて

イージーモードにしようと決めたのなら

今日出会う人たちに

初対面でも

親しい間でなくても

そのイージーモードで

挨拶をしてみよう。


きっと同じ温度では挨拶を返してこないだろう。


でもそこでがっかりしないでほしい。

なぜならその目の前の人は、

もう何十年も

ハードモードを選び続けることに

エネルギーを注いできたのだから。


自分で選び続けているとも気付かずに選び続けた

ハードモードが当たり前の景色の中に、

突然イージーモードの人が現れたのだ。

変人だと思われるのはある意味当たり前だ。


やけに元気で挨拶が明るい変人。

いいじゃない。

一緒になろうよ。

そうやって世界を変えていこうよ。





*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



その人が街にやってくることはそうそうない。

その人が住んでいる場所には住所はあるのだろうか、と時々想像する。


その人が街に現れると、わら半紙に印刷されたモノクロの背景に、フルカラー印刷のページから切り取られたその人がペーストされたみたいに見える。その人だけがフルカラーで、色彩が躍動して見えるのだ。

まぁそもそも、その人が街にやってきて初めて、「ああ、ここはモノクロだったのか」と気づくのだけれど。


切り取り線を指させるのじゃないかというくらいに、フルカラーのその人と、モノクロの街や人々の境ははっきりしている。そして、私たちがカメレオンのように見事に色を変えて、モノクロの背景に溶け込んでいることがよくわかる。


その人に出会うと、通りすがりのある人は、「とんでもないものを見てしまった」という顔で立ち止まる。またある人は、まるでその人がまったく見えていないかのように通り過ぎる。


たまにその人に、普段何をしているのかと質問してみる。その人は丁寧に説明してくれる。説明を聞いている瞬間は「ふんふん」と納得しているのだけど、後になって思い出そうとすると、なぜかいつも思い出せない。


その人の瞳をのぞき込むとどこか遠くへ行ってしまいそうなので、2秒以上見つめたことはない。

次は3秒くらい挑戦してみるか。はたして時間というものを覚えていられるかな。


そんなフルカラーの人。




*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



今日はちょっと悲しくなる出来事があった。


路上で売っているりんごに目が止まって私は立ち止まった。

「おいしいよ!1kgね?!  1kg欲しいのね?! 」

りんご売りの女性がたたみかけるように声をかけてきた。


確かにそれは私の好きな種類のりんごで、りんごを買いたいと思っていたので1kgお願いすることにした。

すると彼女はこそこそと慌ててりんごを袋に詰めて、私に渡してきた。

普段、果物を買うときは自分で選んで袋に詰めるのだけど、彼女は私が選ぶのを拒否して、大急ぎで袋に詰めて私に持たせた。


後になって袋から出してみると、到底売り物にはならないような潰れたりんごが二つ混ざっていた。

「やっぱり・・・」

私の心は悲しみにしぼんだ。






ペルーに住んでいると、物質的な貧しさを、人格にまで染み込ませたような振る舞いに出会うことがよくある。その人の中から神様がいなくなってしまったような感じがして(あくまで「感じ」なのだけど)、悲しくなる。


家についても、まだしばらくその悲しみを引きずっていた。


どうやってこの気持ちを越えたらいいだろう?

そんなことを考えながらノートパソコンを開くと、家を出る前に途中まで見てそのまま閉じた動画の続きが再生された。


動画の声がこう語りかけてきた。

「自分を悲しませた人、傷つけた人。もう二度と関わりたくないと思うような人。その人たちのためにこそ、祈る」


これは私に当てたメッセージだ。

私が投げた質問に対する答えだ。


すぐさまノートパソコンを閉じて、私はりんご売りの女性のために祈り始めた。


しばらくすると、心に穏やかさが戻ってくるのを感じた。

しぼんだ心が少しだけ膨らんだ気がした。


目を開けて、黙って窓の外を眺めていると、こんな思いがやってきた。


「彼女が私にくれたのは、誰かのために祈るチャンスだ。悲しみの中から何かを与えるチャンスだ」


さらに私の心がふっくらと膨らむのが分かった。

膨らみを取り戻した心が、さらに私に語りかけた。



与えるチャンスを他人にもたらす人は、尊い。



あぁ、やっと私は、彼女の中の神様に出会うことができたのだ。

あのまま悲しみの中にいたら、彼女の尊さに気づくことなどできなかった。

祈りが私をそこまで引き上げてくれたのだ。


りんご以上のギフトを、彼女は私にもたらしてくれた。


ありがとう。

ありがとう。

祈りのチャンスをありがとう。

愛させてくれて、ありがとう。





*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



忘却の谷を過ぎるとき

私には忘れたくないことがたくさんあった。




忘れたくない

目的をもって生まれてきたということ


忘れたくない

果たすべき約束があること


忘れたくない

日々の生活を続けるためだけに人は生きているのではないということ


忘れたくない

目に見えるすべてが愛の反射であること


忘れたくない

どこまでも愛されていること



どうか

最も暗い闇の中でも

このことを忘れずにいられますように



そしてもし、たとえもし

忘れてしまっても

そう、私は

必ず私は思い出す。


私はこの誓いを思い出す。





*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*




前回記事「エゴちゃん」からの続きです。


私たちの多くは、源の異なる頭の中の声を、混同して「自分の考え」と捉えています。


これらの声は


ひらめき

雑念

空想

妄想

思考

などなどなど


いろいろな名前で呼ばれています。

そしてどれもおおよそ「自分の考え」として解釈されています。


でも実際は、(今のところ私が理解している範囲では)三つの異なる源からそれらの声はやってきています。


一つは、エゴちゃんの声。

エゴちゃんの原動力は恐れです。

この声は肉体を離れて元の世界に戻るとなくなります。


二つ目は、本当の自分の声。

いわば自分の中の神様の声。肉体がなくなっても残る、本質的なあなたの声です。


三つ目は、その場のエネルギーや他の存在からの声。

自分の外からやってくる声です。

場所に残っているエネルギーを拾っていたり、隣に座っている人の想念を感じていたり、肉体のない存在からのささやき(時には怒号だったりもしますが)であることがあります。


多くの人は「自分にはそんな霊感みたいな能力はない」と言います。

でも実際のところはそれに気がついていないだけで、頻繁に起きていると思います。みんな生まれながらにサイキックです。


これら三つの声を混同して、すべて自分の考え、自分の頭の中の声、と捉えています。






自分の頭の中の声は一つではない、ということに思い至った時に、初めて私はエゴちゃんの声を本当の自分の声と分けて考えることができるようになりました。


だから

自分の中で心配が湧き上がってきた時。

何かに執着してそこから離れられない時。

自分を卑下している時。

周りと比べている時。

何かを、誰かを、批判したくなった時。


そういった時には、

「あぁ、エゴちゃんが喋っているんだな」

と解釈するようにしています。

それを本当の自分の声だとは考えません。


この考え方をすると、エゴちゃんをヨシヨシしてあげるのに必要な距離感が生まれます。

嫌な感情を抱いている自分を嫌う必要もありません。


そうしてエゴちゃんとの間に距離感が生まれると、いよいよ

「果たしてその声に私は従うのか?」

と自分に問うだけの余裕が生まれます。


ですので、今のところ私が見つけたエゴちゃんとの付き合い方というのは、

まずはその不安の声を、自分の声だと思わないことです。

それは本当のあなたの声ではなくて、エゴちゃんの声だと理解することです。


この識別を繰り返しし続けることによって、エゴちゃんの声はだんだんと小さくなります。

そして私たちは、「選択する」という天賦のパワーを発揮することができるようになります。


エゴちゃんの声に従うのか。

私はどの声を選ぶのか。


エゴちゃんを殺さずに、私たちは選ぶことができます。


私もまだまだ学びの途中ですが、この方法から恩恵を受ける方たちがいるのではないかと思います。

少なくとも、自分を苦しめてきたあの声・あの思いが、本当の自分ではなくエゴちゃんのものだとわかるとちょっと楽になりませんか。


もしよければ参考になさってください。




*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



エゴをなくすという考え方に昔から違和感がありました。


エゴを滅して悟りを開く。

何か座りが悪い感じがして、私にはしっくりきませんでした。


それである時、その「エゴを滅する」ことの違和感について思うときがあって、「なんで私はエゴを消すことに居心地悪さを感じるのかなぁ」とちょっと考えてみました。


自分にエゴがあることを認めたくない?

違うなぁ。

エゴを消すのは難しそうだから考えたくない?

違うなぁ。


そうして自問自答していくうちに、私の中でぱちっとくる言葉がやってきました。


「エゴも自分の一部なのに、なんで消さないといけないのかな?」


そう、エゴをなくすということの違和感は、

「ガン細胞を殺す」

とか

「ガンと闘う」

とか

「ガンに打ち勝つ」

という言葉の違和感と似ています。


自分の一部なのに、なぜ殺さないといけないのかな。

なぜ闘わないといけないのかな。


この考えに至った時から、私は自分の中のエゴを「エゴちゃん」と呼ぶようになりました。




(エゴちゃんは、かわいい)




私のエゴちゃんは、何か心が動揺するようなことがあるとたいてい夜中の12時・1時くらいに頭の中で猛烈に話し始めます。

エゴちゃんが不安を語り続けるので、すっかり目が覚めてしまいます。


確かにこれは辛い。

エゴちゃんを滅しようとは思わないけれど、不安で目が覚めるのは辛い。


けれども学びの途中にいる私も、最近になってエゴちゃんとの付き合い方を少しずつ分かり始めてきたようです。

次の投稿では、私なりのエゴちゃんとの付き合い方について書きたいと思います。




*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*




『すべて必然的に起こることを

いつも私は美しいと感じ

本当に美しいものとして

それを見たいのです


だから私の新しい愛は

好むものだけを

愛するという

これまでの愛ではなくなる


私の新しい愛は

人生に起きる

必然的なもの一切を

美しいと感じて

愛する愛になる


すなわち運命の一切を

愛するような愛なのです』


フリードリヒ・ニーチェ






*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



人生の潮目が変わるのがわかる時がある。

多分そういう予感の経験がある人は多いと思う。


ここしばらくの私の場合は、その潮目の変化には地理的に大きな移動が付いてきた。

日本からセドナへ。セドナからペルーへ。


そしてその予感がやってくると

たいてい私の腹の底が震えるのだ。

武者震いのようなものだろうか。


ここしばらく、その震えがきている。

潮目が変わろうとしている。


もうしばらくで母親になるであろうことはほぼ確かで

それはもちろん大きな潮の変化だけれども、

でもこの震えはそれじゃない。


大きく移動する時が近々くるのだ。

今度もまた、地理的な大移動を含むのだろうか?


ああ。腹が震える。

背後に大きな潮の流れが迫ってきている。





*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



十代の頃、私は猛烈に怒っていました。

その強い怒りのために14歳にして腰痛になったくらいでした。


TVのニュースを見ては「バカばっかり」と吐き捨てて、尊敬できる大人、憧れる大人は周りに一人も見つけられませんでした。


当時の最大の怒りは、

「なにもかもが隠されている!」

というものでした。


私の目には、


人が生まれてくるところも

死んでいくところも

セックスも

屠殺も


生きるということの根本が何もかも隠されているように見えました。

そうやって隠してしまう社会を恨んでいました。


きっと当時の私には、実体験を伴わない安全な教室という空間がつまらなすぎて、そしてその教室で黙って座り続けなければいけないというのがあまりにも窮屈で、強く苛立っていたのだと思います。

それゆえに中学は不登校になり、高校は二回中退しました。

社会に適合する接点が見つけられませんでした。


それでも、やはり人生は、目に見えない大きな愛で駆動していて、私が私自身へと回復するきっかけをちゃんと(繰り返し)用意してくれていました。







そのきっかけの一つが、ホスピスでの経験でした。


初めてボランティアに入った日、先輩スタッフの後について、ある入居者さんのお部屋に入りました。その人はもう寝返りを打つことも、水を飲むこともできない状態になっていました。


「これからオムツ替えるから、体を押さえててくれるかな?」


そう言われて、横向けにした骨と皮だけの入居者さんの体を私は押さえました。


その時、私は初めて、人の体からタール状の便がとめどなく流れ出るのを見ました。

ベッドの上に広げられたオムツは一気にプールのようになって今にも溢れそうになり、排泄物は流れる先を探していました。


その光景は私を釘付けにしました。

心が大きな声で叫びました。


あぁ、ここには、生きるということが、隠されずにそのままある!

人は生きて、そして死んでいく。

その全てが、取り繕われずにそのままある!

生命が、命がここにある!


私は感動に打たれていました。


ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!


この場所に連れて来てもらえたことへの感謝が溢れて止まりませんでした。


.  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .

 

「最期の最期って、中にあるものを留めておけなくて外に出てきちゃうんだよね。Kさんもそろそろ旅立ちかなぁ」

後になって先輩がそう教えてくれました。


毎日たくさんの人が人生の幕を閉じているはずなのに、私はそんなことも知らなかった。

でも今ここで、私はそれを目撃している。

本当に知りたかった「生きる」ということを学んでいる。


私がオムツ交換のお手伝いをさせてもらった翌日、この世にほんの少しの私物を残して、Kさんは天へと帰って行きました。


深い感謝と、人生への畏敬と、「私は今、いるべきところにいる」という確信。

何かが沸き立つような感覚に満たされて、ホスピスでの初めてのボランティアは終わりました。




*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*



私と同じことをしている人がいる。

人生を終えようとする人の痛みや悲しみを、歌で慰めようとしている人がいる。


その発見と安堵に、自分の輪郭が滲んでしまうくらい私は泣いていました。


私は長年自分のことをひどく恥じていたので、それまでその話を人にすることはありませんでしたが、私の口から16歳の時の出来事が封を切ったように語られていきました。


すると施設長は言いました。

「きっと叔父さんは谷村さんに歌って欲しかったんだね」


自分の深いところから湧いてきて、どうしても止められなかった望みを、こうして理解してくれる人が東京にいました。あまりに苦い記憶として私の中に残っていた出来事に新しい光が当てられて、そうして私は初めて、当時の自分を許し始めました。


あぁ、やっぱり、私はここに来るべきだったんだ。



(ホスピスにて。入居者さんの部屋の壁に貼られた写真)



見学の日から数日後。

私はその施設へボランティアとして通い始めました。

それから「スタッフになりませんか」と声をかけてもらって、最終的には常勤の職員として働くことになりました。


心配していた資格も経験も何一つ必要ありませんでした。

そこで働くのに必要なものを、すでに私はハートの中に持っていました。


恥と憎悪で雪だるまのように膨れあがっていた私のセルフイメージは、このホスピスで出会うたくさんの人たちとの関係の中で、それからゆっくりと溶けていくことになります。


地下鉄の中で轟(とどろ)いた声。

「死を待つ人の足を洗う」と私に言った声。

揺るぎなく確信に満ちたあの声が私を導こうとしていたのは、単に足を洗うという行為ではなく、私が私自身を回復するのに必要な出会いとチャンスがあふれた場所でした。


目に見えない大きな愛がこの人生で働いていることを、もう私は認めざるをえませんでした。




*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*


あなたを見守り導く存在たちからやってくるメッセージを

Eメールにてお届けしています。

詳細はこちら


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*゜゚・*:.。. .。.:*