「何もかもが隠されている!」



十代の頃、私は猛烈に怒っていました。

その強い怒りのために14歳にして腰痛になったくらいでした。


TVのニュースを見ては「バカばっかり」と吐き捨てて、尊敬できる大人、憧れる大人は周りに一人も見つけられませんでした。


当時の最大の怒りは、

「なにもかもが隠されている!」

というものでした。


私の目には、


人が生まれてくるところも

死んでいくところも

セックスも

屠殺も


生きるということの根本が何もかも隠されているように見えました。

そうやって隠してしまう社会を恨んでいました。


きっと当時の私には、実体験を伴わない安全な教室という空間がつまらなすぎて、そしてその教室で黙って座り続けなければいけないというのがあまりにも窮屈で、強く苛立っていたのだと思います。

それゆえに中学は不登校になり、高校は二回中退しました。

社会に適合する接点が見つけられませんでした。


それでも、やはり人生は、目に見えない大きな愛で駆動していて、私が私自身へと回復するきっかけをちゃんと(繰り返し)用意してくれていました。







そのきっかけの一つが、ホスピスでの経験でした。


初めてボランティアに入った日、先輩スタッフの後について、ある入居者さんのお部屋に入りました。その人はもう寝返りを打つことも、水を飲むこともできない状態になっていました。


「これからオムツ替えるから、体を押さえててくれるかな?」


そう言われて、横向けにした骨と皮だけの入居者さんの体を私は押さえました。


その時、私は初めて、人の体からタール状の便がとめどなく流れ出るのを見ました。

ベッドの上に広げられたオムツは一気にプールのようになって今にも溢れそうになり、排泄物は流れる先を探していました。


その光景は私を釘付けにしました。

心が大きな声で叫びました。


あぁ、ここには、生きるということが、隠されずにそのままある!

人は生きて、そして死んでいく。

その全てが、取り繕われずにそのままある!

生命が、命がここにある!


私は感動に打たれていました。


ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!


この場所に連れて来てもらえたことへの感謝が溢れて止まりませんでした。


.  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .

 

「最期の最期って、中にあるものを留めておけなくて外に出てきちゃうんだよね。Kさんもそろそろ旅立ちかなぁ」

後になって先輩がそう教えてくれました。


毎日たくさんの人が人生の幕を閉じているはずなのに、私はそんなことも知らなかった。

でも今ここで、私はそれを目撃している。

本当に知りたかった「生きる」ということを学んでいる。


私がオムツ交換のお手伝いをさせてもらった翌日、この世にほんの少しの私物を残して、Kさんは天へと帰って行きました。


深い感謝と、人生への畏敬と、「私は今、いるべきところにいる」という確信。

何かが沸き立つような感覚に満たされて、ホスピスでの初めてのボランティアは終わりました。




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