心がしぼんだ時にこそ
今日はちょっと悲しくなる出来事があった。
路上で売っているりんごに目が止まって私は立ち止まった。
「おいしいよ!1kgね?! 1kg欲しいのね?! 」
りんご売りの女性がたたみかけるように声をかけてきた。
確かにそれは私の好きな種類のりんごで、りんごを買いたいと思っていたので1kgお願いすることにした。
すると彼女はこそこそと慌ててりんごを袋に詰めて、私に渡してきた。
普段、果物を買うときは自分で選んで袋に詰めるのだけど、彼女は私が選ぶのを拒否して、大急ぎで袋に詰めて私に持たせた。
後になって袋から出してみると、到底売り物にはならないような潰れたりんごが二つ混ざっていた。
「やっぱり・・・」
私の心は悲しみにしぼんだ。
ペルーに住んでいると、物質的な貧しさを、人格にまで染み込ませたような振る舞いに出会うことがよくある。その人の中から神様がいなくなってしまったような感じがして(あくまで「感じ」なのだけど)、悲しくなる。
家についても、まだしばらくその悲しみを引きずっていた。
どうやってこの気持ちを越えたらいいだろう?
そんなことを考えながらノートパソコンを開くと、家を出る前に途中まで見てそのまま閉じた動画の続きが再生された。
動画の声がこう語りかけてきた。
「自分を悲しませた人、傷つけた人。もう二度と関わりたくないと思うような人。その人たちのためにこそ、祈る」
これは私に当てたメッセージだ。
私が投げた質問に対する答えだ。
すぐさまノートパソコンを閉じて、私はりんご売りの女性のために祈り始めた。
しばらくすると、心に穏やかさが戻ってくるのを感じた。
しぼんだ心が少しだけ膨らんだ気がした。
目を開けて、黙って窓の外を眺めていると、こんな思いがやってきた。
「彼女が私にくれたのは、誰かのために祈るチャンスだ。悲しみの中から何かを与えるチャンスだ」
さらに私の心がふっくらと膨らむのが分かった。
膨らみを取り戻した心が、さらに私に語りかけた。
与えるチャンスを他人にもたらす人は、尊い。
あぁ、やっと私は、彼女の中の神様に出会うことができたのだ。
あのまま悲しみの中にいたら、彼女の尊さに気づくことなどできなかった。
祈りが私をそこまで引き上げてくれたのだ。
りんご以上のギフトを、彼女は私にもたらしてくれた。
ありがとう。
ありがとう。
祈りのチャンスをありがとう。
愛させてくれて、ありがとう。
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