外側に探してしまう癖



ときどき

「Facebookお休みします」

といった投稿を見かけます。


今日そのことについてちょっと思うことがありました。


すべてのケースがそうであるということではもちろんないのだけれども

Facebook辞めます(無期限で休みます)宣言をするときの気持ちって

もしかしたら

「自分の外側に何かを探す癖をもうやめたい」

なのではないかしら。


その「何か」は

繋がりであったり

ときめきであったり

自己承認であったり


それでその何かを自分の外に探して時間を費やしてしまうのが

もう嫌だと感じた人が少なからずいるのではないかしら。


もしそうであるならば

私から小さな提案があります。




外側に見えるものを変えるのではなくて

(ソーシャルメディアのアプリを消す、アカウントを削除する)


外側はそのままにしておいて

(アプリもアカウントも残す)


自分が外側に何かを探している瞬間を察知したら

(何気なく習慣でソーシャルメディアを開こうとしている自分に気づく)


立ち止まってみるのはどうでしょう。

ソーシャルメディアは開かずに、その時の自分を感じてみるのはどうでしょう。


「今なぜ開こうとしたのかな」

「この瞬間に自分が本当に欲しいものってなんなのかな」

と自分に聞いてみる。


もしかしたら、その方がより本質的な変容につながるのではないでしょうか。


だって答えはいつだって、外側にはないのだから。

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