生まれて間もない頃




心配は、後天的に学習するものです。

その話をするために、まずは生まれて間もない頃の断片的な記憶を書こうと思います。


私は母に抱かれて深い深い安心の中にいました。

母の右肩の向こうには、それはそれは美しい存在がいて、私の一挙手一投足を本当に嬉しそうに見ていました。

あくびをしても、まばたきをしても、汗をかいても、私のすべてが愛しくてたまらないといった感じで、私を見てくれていました。


当時の私には、その存在がお母さんでした。

私を産んでくれた母の腕に抱かれてはいましたが、あの世の絆の方がまだ圧倒的に強くて、肉体のない母からの愛が燦々と降ってくるのを私は感じていました。


大人になった私はある日、その時の感覚を思い出しながら考えました。

「なぜ一片の不安のかけらもなく、あんなに安心していたんだろう?」


答えはすぐにやってきました。


身体的に満たされた状態であったとか、肉体のない母の愛に包まれていたとか、そういった理由もあるのですが、何よりも、何よりも、

必要なものは全てやってくると、当時の私は知っていたのです。

この人生において必要なものは、寸分の狂いもなく完璧なタイミングで、一つ残らずやってくるということが分かっていました。

宇宙の完璧な愛を全身全霊で信頼していました。


(「疑い」というものがそもそもゼロだったので、「疑い」と対比にあるような「信頼」という言葉をあてるのがちょっと不思議な感じですが、いま思いつく言葉では「絶対的な信頼」が一番近いと思います)


世間を知らないから不安がないのではありません。

本来の世界(あちら側)を覚えているから。

どれだけたくさんのサポートが常にあるのかを覚えているから。

すべて準備万端整ってやってきたことを覚えているから。

(たとえ生まれた先が機能不全の家庭でも、体に障害がある状態で生まれてきてもです)

この人生という経験を持つのに必要なものはすべて用意されていることを覚えているから。

だから不安がないのです。


ここで言っている「必要なもの」とは私たちのマインドが考える「ポジティブなもの」とは限りません。

生まれる前に自分で決めてきた、その人生を経験する上で必要なものです。

自分で選んだその必要なものを、すっかりいろんなことを忘れてしまった私たちは「ネガティブ」「嫌なもの」と呼ぶことがあります。




生まれたばかりの赤ちゃんは、知らないからではなく、知っているから不安がありません。


確かにお腹がすけば泣きますし、オムツが気持ち悪くても泣きますが、生まれて間もない赤ちゃんというのは深いところでそんな大安心の中にいると私は考えています。

もしかしたら周りのどの大人よりも安心しているかもしれません。


何も自分でできないように見える赤ちゃんがそれだけ安心していられるのならば、大人も実は、安心していていいと思いませんか。

すべてを自分で実現して、努力でつかみ取って、何かに向かってがむしゃらにならなくても、大丈夫だとは思いませんか。


本当は、すべて大丈夫なのです。

安心していて、大丈夫なのです。

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