憧れと嫉みについて
憧れは、健やかな心の反応です。
自分が何に憧れているかによって、自分が欲しているものが分かります。
ただここで、私たちは真摯な探索をしなくてはいけません。
例えばある人が特定の歌手に憧れていたとします。
「自分もあんな風に上手に歌って、輝く人生が送れたら・・・」
でも、たいていの場合、その人が求めているのは「歌手になる」ということではありません。
その人が本当に望んでいるのは、「自分を正直に表現する」ということだったりします。
そうすると歌手になろうと躍起になっても、なかなかうまくいきません。
なぜならその人の魂が経験したいのは、毎日の生活の中で自分の考えを自由に表現するということだからです。
自由に表現して、「自分を尊重する」ということだからです。
憧れをうまく活かして、自分の望みの本質を、真摯に正直に探求していく必要があります。
さて、憧れは健康的な心の反応ですが、嫉みや妬みは少し話が違ってきます。
嫉みや妬みの根底にあるのは、
「必要なものは必ずしも得られない」という欠乏の概念です。
私たちは、実際には必要なものはすべて用意されて人生をスタートしています。
調達されるかどうかもわからないのにスタートを切る、ということはありません。
宇宙はそんな薄情なところではありません。
けれども成長の過程で
「自分で勝ち取らなければならない。しかも全ての人に行き渡るだけの幸福は用意されていない」
という概念を多くの人は学んでいくので、
「すべて用意されている」
という人生の大前提を忘れてしまいます。
すると、
「自分は手に入れられないのではないか」
という警報が鳴り響いて、自分が欲しているものを既に手にしていると「思われる」人を、嫉み妬むようになるわけです。
しかし、です。
これは何度書いても書き足りないくらいに大切なことですが、
私たちは必要なものを既にすべてもらっているのです。
もしかしたら、真摯で正直な探索がちょっと足りずに、本当に望んでいるのとは違うものを追いかけているのかもしれませんし、
親であったり、学校であったり、会社であったり、誰か他の人の望みを自分の望みと勘違いしているのかもしれません。
まだ目に見えるところには出現していないけれども、舞台袖でベストタイミングを狙って、その必要なものは待機しているということも多々あります。
ですから、安心して、焦らずに自分の憧れに耳を傾けてください。
もし、嫉みや妬みの感情が既に現れているのであれば、それを感じている自分を否定せず、
「手に入らないかも、と自分は不安を感じているんだな。じゃあ、何を手に入れたいと思っているのかな。そこにある私の望みの本質は何かな」
と、嫉み妬みの構造を逆手にとって、自分を聞いて受け入れるツールにしてあげてください。
どの感情も、無駄なものはありません。
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