「苦しい」を決めるのは誰?


クスコは山間の街なので、坂がたくさんある。我が家の近所にもそれはそれは見事な階段がある。見た人は大抵「ぎょー!」とか「おおお・・・」と言ってちょっと黙る。

写真でその迫力が伝わらないのがもどかしい。


107段あるその階段を、私は時々上り下りしている。

以前は息が上がることが苦しいと感じていた。だから長〜い坂や長〜い階段を億劫に感じることもあった。ところが最近は、気持ちがいいと感じるようになった。


というのも、「あれ?この心臓がドキドキして息が上がる状態を、『苦しい』って定義しているのは誰?自分だ!」と気付いたから。

そこに意味を与えてその意味通りに経験しているのは、自分だ。


そのことに気づいたら、もはやドキドキゼーハーは「苦しいこと」ではなくて、「生きてるなー!」を実感する経験になった。


それにしても、富士山9合目みたいな標高のところでこれだけ毎日体を使っているのだから、なかなかいいトレーニングだと思う。

この階段を楽々上がれるようになる時、私は富士山を小走りで登れるようになっているのじゃないかしら。

0コメント

  • 1000 / 1000